【社長日記1】がんと生きるということ

私の前職からの上司であり、ビジネスのパートナーである岡本会長が8月4日に亡くなりました。
皆様方より生前賜りましたご厚情、ご親交に対しまして、厚く御礼申し上げます。


システムフレンドを起業して以来、岡本が入院するという事態は何度かありました。網膜剥離と膀胱がんで入院したことがあります。

膀胱がんの時もショックではありましたが、健康診断で念のためマーカのチェックをしたら早期で見つかったというものでして、むしろ運が良かったと当人は話していました。入院も短期間ですぐに会社に復帰しました。その後も定期的に検診をしてもらいますので、軽めのがんであればむしろかかっておいたほうがリスクが減るのではないかといった冗談も話していました。

その後、2016年5月に尿がでないということで入院されました。そのころ、当社が開発していたリハビリシステムがようやく製品化に漕ぎつけたころでして、仕事が一番面白くなっていた時期だったということもあり、検診に行けておらず、血尿が出ていたのに病院に行くのを先延ばしにしていたということでした。当人もこれは失敗だったと話していました。

入院した当初は当人もショックだったみたいなのですが、退院後には「前立腺がんのステージ4らしいが、前立腺がんはステージ4でも5年生存率は80%らしいから、まだ死ぬってことでもないらしい」と話されていました。後に奥さんや娘の岡本麻依取締役に聞いてみると、「扁平上皮癌のステージ4、5年生存率は8%」ということだったらしいのですが、私がご本人と会話していた限りにおいては、そのような認識は全くお持ちではなかったと思います。医師の説明の一部を聞いて、前立腺がんだから、闘病しないといけないにしても、そのうち治るのではないかと楽観的に考えていたように思えます。


岡本は2015年くらいには55歳で早期リタイヤして海外ででも暮らすというプランを持っていたようなのですが、早期リタイヤできるほどうまくいってはいませんでしたし、とはいえそこそこ発展して面白い状況にもなっていましたので、まったくリタイヤ計画は進んでいませんでした。とはいえ、事業承継を考えないわけにもいかないので、2017年の会社の20周年というタイミングで私が社長になり、3年で代表を交代するという計画を立てていました。

ところが、今年の5月後半から岡本の足の痛みが強くなり、そのため出社できないことが多くなりました。業務への支障を考えて当社の期の始まりである2019年7月から代表を交代いたしました。その後も回復したら出社するという意欲を持っていらっしゃったのですが、代表を交代して安心されたのか、翌月8月には亡くなられました。

亡くなる前の週にはさすがにご自身の死について覚悟されていました。それでも私には仕事のことについて最後まで指示してくださいました。そのため、創業者の死という会社にとっては最大級のインパクトのある出来事にもかかわらず、ほとんどすべての業務が滞ることなく進んでおります。

直後の8月17,18日には築地のがんセンターで開催される「ジャパンキャンサーフォーラム」に予定通り出展しました。学会での出展ではドクターや理学療法士など医療従事者の方とお話しする機会が多いのですが、キャンサーフォーラムでは患者やご家族やサバイバーの方とお話しする機会が多かったです。多くの方が闘病しながらも、明るく希望をもって生きることができるように、さまざまな取り組みがなされていることが紹介されていました。


岡本会長の3年間の闘病も、とてもアグレッシブだったと思います。東京へも何度も出張していますし、医療関係では地方にも出張されています。一度は私をつれてベトナムにも出張しました。本社移転という大きなイベントもありました。闘病中とはいえ全力疾走に近い仕事をされていたのではないかと思います。なるべく入院はせず、最後までご自宅で家族と一緒に時を過ごされ、ご自宅でご家族に見守られて息を引き取りました。60歳でしたのでやり残されたことはたくさんあると思いますが、それでもベストを尽くされた人生なのではないかと思います。


岡本会長には最後の最後まで感謝することがいっぱいです。
そして本当に尊敬できる上司だったと思っております。

安らかにお休みいただけるよう、岡本会長の残した仕事をしっかりと引き継いでいきたいと思います。